2025年03月25日

3月24日の記事

2025年3月24日
第564回 普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

 陽ざしは夏のようですが、まだ風が爽やかな季節。明るい中でのゴスペルなので、車道に向かって歌うことも出来ます。今日は、ちょうど停った車が窓を開けて声をかけ手を振ってこたえてくださって、一同励まされました。
 3月最後の週となり、4月から県外へ行かれる方やこの春沖縄に来られた方など、人が行き交う季節でもあります。長い間、ゴスペルを歌う会を思いながら来ることがかなわず、やっと今日来ましたという方がいて、目に見えずとも連帯している方々がおられるのだと心強くなります。
新しい歌集になって1か月、まだまだ歌いなれない曲もありますが、上手に歌うことよりも歌詞をかみしめ思いを込めるのが先。歌に導かれて、皆の祈りが重なります。


 そんな私たちの声をかき消して、今日はたくさんのヘリや飛行機、オスプレイが私たちの真上を飛び交いました。着陸直前の滑走路延長なので、手が届くかと思うほど接近した機体のお腹と爆音は、そのたびに身体がヒヤッとするような恐怖感があります。一日も早く、こんな状態はなくなって欲しい。その思いを歌詞に載せて、♪ミルクユチュクラナウチスリティや♪球根の中にはを歌いました。
7時になってもまだ明るい空。雲間に夕日を眺めながら、何も変わらないまま、また一つ季節が過ぎたことを噛み締めます。(S.K)







  


Posted by サマリア at 22:00Comments(0)

2025年03月18日

3月17日の記事

2025年3月17日
第563回 普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

聖書:「わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように」(詩編85編9節)

平和の主なる神様。

 私たちは、毎週月曜日のこの時間に、この軍事基地のゲートの前に立ち、暴力の根源である軍事基地に“NO”を叫びつつ、このところで、あなたへ賛美を捧げる者です。
 主よ、あなたはすでに「平和を宣言」されていますが、しかし、この世は、未だ、まことの平和には程遠い現状があります。この世は、主に逆らうかのように、戦争があとを絶ちません。どうか、私たちは、主が宣言された「平和」を信じて、諦めずに、声を上げ続け、私たちに出来る平和の働きを担わせてください。


 どうか、沖縄の教会、日本、世界の教会が、悔い改めをもって、キリストの証しとなる平和の働きを、担うことが出来ますように。主よ、あなたの御言葉で揺さぶりください。今この時、小さき者が暗闇の恐怖の中に置かれ、痛みと悲しみが押し迫りくる只中に置かれている者を、主よ、お救いください。

 主よ、御国を来たらせたまえ。平和の主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

参加者18名と共に。(T.K)





  


Posted by サマリア at 22:00Comments(0)

2025年03月11日

3月10日の記事

2025年3月10日
第562回 普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

 今日は、東京で平和を平和を実践する人たちが参加してくれた。奇しくも今日は3月10日、東京大空襲から80年の日。もう80年と言うべきか、まだ80年と言うべきか。今でも、その痛みを負っている人たちがいる。戦争も災害も原発事故も、体験者一人一人の痛みは、ずっと続いている。
 しかし国は、それを終わったことにしようとする。「補償したから」「避難解除したから」「日本復帰させたから」と言って、解決したことにする。そして、何も反省しない。

 
 聖書の預言者は言う。「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」へりくだるとは、痛みを負う者の目線に立つこと。そして、その時には私たちは、おのずと反省(悔い改め)をするはず。そこで初めて私たちは、神と共に歩むことができるのだろう。私たちは、神と共に歩む者であり続けたい。
参加者21名。(Ⅿ.A)






  


Posted by サマリア at 22:00Comments(0)

2025年03月04日

3月3日の記事

2025年3月3日
第561回 普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

 「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩編133編1節)

 ゴスペルソング集が新しくなった。私は昨年から運営委員に加わり、度々行われる会議にも出席している。議題は主に、新しいソング集の発行について。何度も話し合いを重ね、遂に完成したゴスペルソング集。それを使う初回のゴスペルの司会の方が休むと連絡があった。これほどに大きなチャンスが回ってくることはないと思い、司会を任せてもらった。初めて務める司会の役目、皆さんに助けられながらではあったがやりきることができた。
 
飢えている人と パンを分かちあおう。
愛に押しだされて 主の後に続こう。


 これは私が大切にしている讃美歌の一つ。運営会議の際、この歌を入れてほしい旨を皆さんに伝えた。3番の歌詞に「悲しみの人と 声合わせ歌おう。」とある。ゲート前に集う参加者の中には、悲しみや苦しみを抱えている方もいる。そんな皆さんと声を合わせ、主の後に続いていきたい。

3月3日、宜野湾市の気温は25度。気温と共に、キリスト者の暖かさにも触れた。
(R.S)
 







  


Posted by サマリア at 22:00Comments(0)

2025年02月18日

2月10日の記事

2025年2月10日
第558回 普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

聖書:「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」
(ローマの信徒への手紙8章24節)


 平和の主なる神様。私たちは、毎週月曜日のこの時間に、この軍事基地のゲートの前に立つ者です。軍事基地に“NO”を叫びつつ、このところで、あなたへ賛美を、祈りを捧げる者です。
 この世は、あなたに逆らうかのように、暴力が、戦争があとを絶ちません。どうか、私たちに主が成し遂げられる「平和」を見させてください。
 どうか私たちが、主が成し遂げられる「平和」を信じて、諦めずに、声を上げ続け、私たちに出来る働きを担わせてください。沖縄の教会、日本、世界の教会が、悔い改めをもって、キリストの平和の働きを、担うことが出来ますよう、主よ、お導きください。
主よ、御国を来たらせたまえ。平
和の主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
参加者18名と共に。(T.K)











 
  


Posted by サマリア at 22:00Comments(0)

2025年02月04日

2月3日の記事

2025年2月3日
第557回 普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

 ここ最近、航空機の事故が立て続けに起きている。旅客機と軍用ヘリが衝突し、戦闘機が墜落し、防空システムのミサイルによるものとみられる墜落があった。これまでも、沖縄含め、世界の何の罪も無い人々の命が、軍隊・武力によって奪われてきた。それでも軍事を最優先し、軍拡を続けてきたそのツケが今、最悪の形で回ってきたのではないか。そしてこのような状況でなお、権力者らは、ひっきりなしに航空機が出入りしているこの小さな島で、軍用機を飛ばし、基地を作り続けている。

 そんな命の軽視に抗う人々が、今日も普天間基地ゲート前に集った。特に今日は寒さに加え雨も降る中、学生や団体、個人等、全国から駆けつけ、計27名でゴスペルを歌った。先週まで一緒に歌っていたKさんとの別れもあったが、出会いと再会に励まされ、新たに火が灯された気がした。(Ⅿ.A)







  


Posted by サマリア at 22:00Comments(0)

2025年01月28日

1月27日の記事

2025年1月27日
第556回 普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

 午後から雨と風が強くなって、今日はキーボードは無理かなと危ぶまれたが、開始前には雨はやみ、風はやや弱まった感で、いつも通りに始められた。今日は日本YWCAの、しかもさらにユースの日本各地の女性たちが、沖縄のコーディネイターも含めて7名も来てくださり、一気に平均年齢が下がり、気分は華やいだ。
 24日には「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」が、首相官邸前で反対集会を開き80名もの人が集まった。司会を務めた平良愛香さんは「自分たちのせいで沖縄が苦しんでいるということを嘆かないといけない」と指摘したので、今日は愛香さんのミルク世チュクラナで始めようと思ったが、YWCAの方々がそれを用意しているというので、思いが一致したな、とうれしかった。

 この歌は、ゲート前で子どもから大人までみんなが歌うので、日本各地に広がるゴスペルを歌う会のテーマソングとして広がっていくのではないかと思い、そう願いたい。年に一度は必ず辺野古そしてゲート前に来てくださる日本バプテスト同盟の田村先生ご夫妻が今年も名古屋から参加下さっていたので、突然だったが祈りをお願いし、快く引き受けていただいた。

 「当事者でもない私たちが」と謙遜に言われた。おりしも、高里鈴代さんと落合恵子さんの対談が新聞にあり「沖縄にいる人だけが当事者ではなく、日本国民全員が当事者だ」と言う言葉を紹介した後だったので、「みんな当事者だよ」、同じ時代に生きる「当時者」だよ、と連帯を確かめる声がかった。心の通い合う瞬間だった。田村先生が用意してくださった賛美のプリントを見ながら、皆で新しい歌を賛美した。味くーたーの日だった。(T.N)






  


Posted by サマリア at 22:00Comments(0)

2025年01月21日

1月22日の記事

2025年1月20日
第555回 普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

 2025年最初のゴスペルを歌う会。私たちが、ここで賛美をささげなければ、ここで平和を祈らなければこの国はどうなってしまうのだろう。
 冬至が過ぎ、18時は明るい。昼間は暖かったが、夕刻は7度と予報していた。「こんな寒い沖縄は初めて」何十年も住んでいる仲間が言う。
 ささげた賛美20曲。み言葉5つ。連帯の祈りでは、前置きにうちなー口で、「ちぶる」と「ちび」を例にとって話され、「行動のない平和はむなしい。聖書は平和をつくりだす行動を促している」、と。
 
 今年最初のゴスペルにふさわしい祈りを共有できた。報告のところでは、「戸塚ゴスペルのW牧師より、各地のゴスペルを歌う会を♪勝利を望み♪でつなぐという提案が出された」、「3月1日にはOCC女性会主催の世界祈祷日女性会がある、今年はクック諸島のことを155か国で共に祈る」など。
初日を覚え17名が熱唱。(F.O)








  


Posted by サマリア at 15:00Comments(0)

2024年12月10日

12月9日の記事

2024年12月9日
第554回 普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

 2024年最後のゴスペルを歌う会。ゲート前に集う一人ひとりからクリスマスの賛美が夜空に響き渡った。イエス誕生の時、あのクリスマスの夜空に響いた天使の歌声は「天に栄光、地には平和!」。イエス誕生の時代も闇としか思えない状況のただ中でみ使いは平和を宣言し、声高らかに歌ったのだ。

 この年も振り返ると、どれほど多くの痛みと不条理な涙が流されてきただろうか。しかしクリスマス、闇の中に輝き続ける光としてイエスが生まれてくださった。神が希望を送ってくださったのだから、私たちはあきらめることを知らない。だから、クリスマスはめでたいのだ。だから、私たちはクリスマスを喜ぶのだ。

 神の使いは今もなお、神の喜びを喜びつつ、主の平和を確信しつつ歌っている。私たちもゲート前であのみ使いと共に、多くの仲間と共に連帯しつつ歌いつづける 「この地に平和!」 と。(Y.S)









  


Posted by サマリア at 22:00Comments(0)

2024年12月03日

12月2日の記事

2024年12月2日
第553回普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会

 イザヤ書42:1~「見よ、わたしの僕、わたしが支(ささ)える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。・・・2 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷(ちまた)に響かせない。3 傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心(とうしん)を消すことなく/・・・4 暗くなることも、傷つき果てることもない」
平和の君なるイエス・キリストよ。
 2024年の主のご降誕を前に、私たちは今日もこのところに立ち、キリストの御名をあがめ、賛美を捧げる者です。
 私たちは、軍事基地のゲートの前に立ち、暴力の根源である軍事基地に“NO”を叫び続けていますが、いつになればこの軍事基地は無くなるのでしょうか?いつになれば、まことの平和は来るのでしょうか?アジアの情勢、世界の情勢を見れば、平和は遠のくかのようであり、軍事基地は強化され、軍備は増強され、闇がなお覆いつくして行くかのように見え、平和の灯火は消えそうで、私たちの心は折れそうです。
 しかし、あなたは、暗闇が覆いつくせば、覆いつくすほど、闇が深ければ、深いほど、光は輝くと教えてくださっています。

 
 私たちは、軍事基地の強化、軍備の増強に惑わされることなく、世界の情勢に失望することなく、キリストの光を受けた者として、「暗くなってゆく灯心を消すことなく」発信し、続けて行きましょう。
今この時、小さき者が暗闇の恐怖の中に置かれ、痛みと悲しみが押し迫りくる只中に置かれている者を、主よ、お救いください。
主よ、御国を来たらせたまえ。平和の主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

 イザヤ書9:1~5「闇(やみ)の中を歩む民は、大いなる光を見/
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」・・・・・ひとりの みどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。

 ヨハネによる福音書1:1~5 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。


 ルカによる福音書2章8~14節 
 そのその地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」






  


Posted by サマリア at 22:00Comments(0)